「寺山さんの癒しの過程で起こった最も驚くべき出来事は、自分自身ががんをつくったのだ、と彼が気づいたことでした。…私は『癒す心、治る力』の中で、寺山さんの話のこの部分をとくに強調しています。なぜなら、病いと戦うことをやめ、病いをふくめて人生や自分自身をまるごと受け入れた結果、重病から癒された患者さんたちを私は知っているからです」(アンドルー・ワイル博士推薦文より)
【目次より】
読者の皆様へのメッセージ(アンドルー・ワイル博士)
プロローグ
私はガンだと知らされなかった/当時の心境/死に対する恐怖
第1章 がんとの出会い
がんになった理由/病気の始まりを自覚/血尿が出た/初めての触診/入院させられる/手術承諾書の意味するところ/摘出手術/医師への質問/手術後の注射/抗がん剤を断る/年末に一時退院/たくさんの見舞い客とお茶会/手が痺れてきた/光線をかけよう/老いたる父母が見舞いに来る/放射線治療の再開/不思議な夢に出くわす/感覚が高まる/病院の屋上で寝る/退院に成功する
第2章 自宅に戻って
神社にお参りする/水が飲めない/早速の訪問者/胸の痛みに「愛しているよ」/束縛のない生活が始まる/太陽のありがたさを感じる/今日という日があることを実感した/桜の花びらが、声を出した/小鳥がいつさえずりをはじめるか/呼吸の大切さに気づく/チャクラの存在に気づく/般若心経と雨ニモマケズ/クンダリーニを体験
第3章 チェロの恩師の死が私を導いてくれた
チェロの恩師/葬儀に行けないイラつき/雨田光弘さん/チェロの練習を再開する/チェロの音色/長谷川陽子さん/黄帝大経を読む/チェロを弾く効果と親鸞の歎異抄
第4章 マクロビオティックとの出会い
大塚晃志郎さん/望診の薦め/マクロビオティックを実践する/お風呂の効用/体からの排毒/鎮痛剤というもの/大森英桜先生の望診を受ける/正食医学講座/智慧と知識/座禅の体験/指圧の効用
第5章 穂高養生園に通う
福田俊作さん/穂高養生園がスタートする/きのこ採りに参加する/穂高養生園のヨガ/現代のがんの治療法/ホリスティック医学に出会う
第6章 フィンドホーンに導かれる
講演者としての招待/私は何も知らないフィンドホーン/周囲の反対/チャネリング/山川紘矢・亜希子ご夫妻との出会い/招待を受ける決心をする/英語がわからない/フィンドホーンの生活が始まる/フィンドホーン名物のハグ/アイリーン・キャディさんとの出会い/体験週間を無事終える/バーバラ・スウェティーナさん/いよいよ講演/アヴェ・マリア/チベットベル/オリエンタル・ヒーラー・シン
第7章 フィンドホーンを離れてロンドンに
フィンドホーンを離れる前に知ったこと/ロンドンに着くまでの冒険/ブリストル・キャンサー・ヘルプセンター/クリシュナムルティセンターの訪問/ロンドンはフィンドホーンとは違う/地下鉄駅でチェロを弾く/ロンドンのスピリチュアルな展示会/帰国して
第8章 「がんに愛を送り、消滅した」ことを振り返って
ことの始まり/退院後に行なったこと/寺山個人のプロセス/腑に落とす大切さ
エピローグ
バイク事故で五カ所を骨折/これからの旅に向けて
【著者紹介】
寺山心一翁(てらやま・しんいちろう)
1936年東京生れ。1960年早稲田大学第一理工学部電気工学科卒業、その後、東芝入社、半導体素子の研究、開発、試作に従事。1980年寺山コンサルタンツオフィスを設立。
1984年に右腎臓がんとなり、手術、抗がん剤、放射線治療という現代医学による治療にもかかわらず、がんが右肺など他部位へ転移し、末期と診断されたのを機会に、自宅で死を迎えるために退院。やがてがんに愛を送り、深い気づきを得て、副作用のない様々な代替療法を自分が中心となり、自分のからだに調和をとりながら統合的に取り入れ、やがてがんは自然治癒していった。
ホリスティック経営コンサルタント(1981〜)、日本ホリスティック医学協会常任理事(1987〜1995)、フィンドホーン財団評議員(1988〜)、特定非営利活動法人国際和合医療協会(ISMA)副理事長(2004〜)などを歴任。
●ホームページ=http://www.shin-terayama.jp/